2017/04/18

学びて時に之を習う

以前、『論語』の冒頭の文を読んで、「学ぶ」と「習う」の違いは何だろうかと疑問に思ったことがある。
子曰く、学びて時に之を習う。亦説ばしからずや。
朋遠方自り来たる有り。亦楽しからずや。
人知らずして慍らず。亦君子ならずや。
このブログでも過去に触れたことがあり(学而第一・1「子曰、学而時習之。~」)、結論としては変わらないが、以前は書いていなかったことがあったので補足しておきたい。

「学ぶ」と「習う」の漢字の意味、成り立ちについてである。漢和辞典を引いていなかった。

「学」と「習」の漢字について、解字としてそれぞれ以下の記載があった。
【学】
乂印は交差するさまを示す。先生が知恵を授け、弟子がそれを受けとって習うところに、伝授の交流が行われる。宀印は屋根のある家を示す。學は「両方の手+宀(やね)+子+音符爻」で、もと伝授の行われる場所、つまり学校のこと。
【習】
「羽+白」で、羽を重ねること、または鳥が何度も羽を動かす動作を繰り返すことを示す。この白は、自の変形で、「しろ」ではなく、替の下部と同じく動詞の記号である。
「学びて時に之を習う」は、先生(師匠)から学び、繰り返し復習するという意味がはっきり感じられる。

「学ぶ」と「習う」を合わせた「学習」の意味もまた、よくわかる。学ぶだけでは学習したことにはならない。

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